こんにちは。
前回から乙女座のことを描いています。
私はアセンダントが乙女座なのですが、アセンダントというのは、太陽と違って掴みに行くわけではなく、最初から備わっているものなので、ある意味そのサインの性質が太陽よりよくわかるところはあるかもしれません。
前回、乙女座15度のサビアンシンボル「装飾されたハンカチーフ」と16度の「オラウータン」について書きましたが、今回はこの、私のアセンダントと同じ度数が太陽にある父親と、自分の家族について書いてみようと思います。
こんにちは。 今日は乙女座のお話をしたいと思います。 私はアセンダント乙女座なのですが、自分のアセンダントの中でどうしても相反する部分が昔からあるのを感じていました。 このアセンダントの葛藤は、自分のホロスコープチャートの[…]
わざわざ家族のマイナスなプライベートな面を書くのは、自分でもどうかとは思いますが、程度の差はあれ似たような環境のご家庭は日本には案外あるのかもしれないと思いますので、あえて書いてみます。
とても個人的なお話になりますので苦手な方はどうぞスルーしてください。
私は、高校卒業してからは実家を離れて一人で暮らしていましたが、実家には弟と妹がいて、今は年老いた両親と家族4人で暮らしています。
弟は私より1才年下で未婚ですが一応仕事をしていて、社会人として生活しています。
そして8才年下の妹が去年から大きく体調を崩し、暫く様子がおかしかったのですが、先月あたりから自分の人格を失い精神科に入院することになりました。
妹はずっと、家に引きこもりきりで友人もなく、仕事もせず、成人後は殆ど社会というものからは遠ざかっていました。
父は子に対しては、ある程度若い頃はとても理想を抱いていた様で自分の中での「判断基準」があり、その範囲内の行き届く中で生活して欲しいという強い願望があり、それ以外は認めないというところがありました。
そして子の進路や就職、結婚など、人生の重要な岐路ともいうべき部分に対して、多大に口出しをしてくるところがあり、母も同様な考えがありました。
この記事を初めてご覧になる方もいらっしゃるかもしれませんので、ご説明しますと、父の判断基準というのは、松村潔氏のこの動画でいうところの乙女座の見る「光」の部分と、とても重なるところがあると思い、最初にこの動画を見た時はかなり衝撃を受けました。
さらに、乙女座15度のサビアンシンボルの「装飾されたハンカチーフ」とも重なり、不思議な気持ちになりました。
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それで、そのことについて、前回から長々とした記事を書くことになりました。
私は、自分の人生を両親の介入により邪魔されたくなかったので、高校卒業後は早々に家を出て、(途中までは弟がいた)家族とはずっと距離を置いていました。
大学を出してくれたことにはとても感謝していますが。
妹は自分でそうしたくても、できなかったのだと思います。
生きるということは、泥臭いことだと思うのですが、妹は自身の至らない部分、能力の足りない部分、劣等感を感じてしまう部分などを自分では気づいていたかもしれませんが、ずっと両親からそこの部分を見て見ないふりをされ、向き合ってはもらえなかったのではないかと思います。
つまり妹は本当は自分自身の生き方や主張はあったのかもしれませんが、仕事も長続きせず、人間関係も深い関係を続けることもできないでいると言うこともあり説得する術を持たず、親にはありのままを受け入れてはもらえなかったという虚無感をいつの頃からか抱えていたのかもしれません。
そして、太陽蟹座、月と海王星コンジャンクションで、スポンジの様に人の気を吸収してしまう様なところがある妹は、母親に対しては特に優しい面があり、母の家族に対しての女性特有な、いわばユング心理学で言うところの「グレート・マザー」の様な、一見優しく見えるけど実はそうではないトリッキーな「意識」をずっと背負わされていたところもあった様な気がします。
グレート・マザーとは詳しくは下記の記事に説明がありますのでシェアします。
私は冥王星が強い気質なためか、支配的なものに対しては跳ねつけることをまずしますが、妹はその様にはできなかったのだと思います。
私は昔母に一度「自分が生まれてきたのは、何のためだと思う?」という質問をしたことがありますが、母はそれに対して、「家族を支えるため」と答えていました。
母は自分の趣味も持たず、オシャレもせず、自己投資などもせず、関心ごとはもっぱら家族のことで、専業主婦にありがちなその姿勢というものは、ある程度自分自身の時間を「犠牲にする」ということも含まれている様に私には思えたりもしました。
母はそのことを実感として持っていたかどうかはわかりませんが、自分の存在価値を「家族」に見ていた様に思います。
妹は母のそんなグレートマザーの一面を思わせる様なエゴの部分や、過剰な感情などをいつからか受け止めてしまい、拒絶もできずに「自分自身の人生を生きる」ということを放棄し始めてしまったのかもしれません。
(もちろん母自身はひたすら良い母でありたい、子供達が可愛いと言う意識しか認識していないですし、悪気があるわけではありません。)
妹のそれは言い換えれば自立できないことへの言い訳としての「甘え」や、実際現実社会に対応できない自分の将来への「不安」も加わって来て次第に「依存」に変わってしまったのではないかと思います。
母は妹や弟に対して「自分で生活して欲しい」と口では言いながら、身の回りの世話を焼き続け、実際は家にいる二人のわが子を蹴飛ばしてでも家から出すみたいなことはしませんでした。
愚痴を言いながらも言うことと態度は違っていたわけですから、潜在的には、自分の存在理由が目の前からいなくなることへの不安があったのかもしれないと思ったりします。
なので親子関係は、お互い親離れ、子離れができないという「共依存」の関係がずっと続いていたのだと思います。
「生きる」ということは、あくまでも自分たちの物差しで測った基準の「光」の部分を歩いていくことだと両親は信じて疑わなかったと思いますが、(醜く泥臭い部分を見ない)この両親の価値観の壁(月の壁)は私にも度々人生の重要な部分で立ちはだかってきた苦い記憶があります。
父はおそらく、ずっと生真面目に、潔癖に自己管理して生きてきたと考えている様ですが、すでに、ここに至り自分でも予想外の事態が起きたわけで、この父にとっての「思いもよらない事態」はとても太陽乙女座の「オラウータン」の傾向として、表れている様に感じます。
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自分の「基準」に合わないものをずっと排除してきた結果、いつの間にか「シャドゥ」の部分が大きくなりすぎて、それに気づかせるために自分の太陽乙女座のオラウータンが影の「主張」をしてきたのかもしれません。
子のため、子を護るつもりで、自分たちの「価値基準」を安全に生きる道として押し付ける様なことをしてしまったり、子が何才になっても身の回りの世話をしてしまうということは、どこのご家庭にも、ある程度はあるお話しで、愛情表現の一つだとは思いますが、そのことを受け取る子が、心地よい、嬉しい、ありがたいと感じなければ、愛にはならないんじゃないかと思います。
確かに、お互い想い合っている関係なら、愛情は本当だとは思いますし、この「想い」の深部はなかなか外部には分からないので、とてもトリッキーだと思います。
人はなかなか愛情表現を自分のやり方でしか相手に表すことができないという不器用な面があると思いますが、相手の求めるものを真に捉えられているかどうか、そしてそれを相手に表すことができるかどうかで大きく違ってくると思います。
夫婦や恋人関係では普通に難しい面もありますが、血がつながった親子関係でも難しいことなのだと思います。
ここで、乙女サインの個ではなく集合的な全体をみるということを考えると、過去今まで何度かブログの話題にしていますが冥王星が乙女座にあった時代のお話をまたします。しつこくてすみません(笑)。
1958年〜1971年は冥王星は乙女座にあって、「冥王星乙女座時代」になると思います。
ちょうど日本では「高度経済成長期」と重なっているところあると思いますが、戦後から人の生活が落ち着いてきて、物とお金が生む目に見えるものの「豊かさ」に社会の焦点が当たり始めて、そのためには勤勉さと真面目さが重んじられ、人の役に立つこと、社会全体のために貢献することが大切だと感じながら生きた人たちが頑張った時代でもあるかもしれないと思います。
父はその時代の「モーレツ社員」で、仕事ばかりで家族は顧みず、子育てはもっぱら母に任せていたと言いますし、実際私には父の思い出はあまりありません。
さらに母は残業で深夜遅く帰宅する父を待ってからいつも夕食を一緒にしていたと言います。
(自分の中にもグレート・マザーの面はあるかもしれませんが、女性ばかりが子育てすると、そこの部分が育ちやすいのかもしれないと思ったりもします。)
冥王星が乙女座にあった頃の親の子育ての仕方や、家庭のあり方は、どちらの家庭も少なからずこれに似た様な、当てはまる部分があったんじゃないかと思ったりします。
そしてそんな生産性があり勢いのあった時代という反面、豊かさのために集団や規範を築き上げて行くということは、そからこぼれ落ちていくものもあっただろうと思います。
より良い理想的な全体を目指すためには、統制をとる必要性も出てきて「規則」や「規範」も敷かれていくものだとは思いますが、そのために、そこからはみ出してしまうもの、犠牲にされるものもあり、全体の目指すところのために切り捨てられるものも出てきて、その間の「歪み」の様なものも生まれてくるのは当然だと思います。
冥王星乙女座の時はその歪みが比較的大きく、それに繊細に反応する精神も激しくあってぶつかり合っていた時代なのではないかと推測しますが、私の父は、私が子供の頃から「人さまの前ではいつも身ぎれいにしときなさい」と言うのが口癖でした。
つまり、それは裏を返せば泥臭い汚れた部分はいらないし見ないと言っていた様に私には映りますね。今思うと。
今は父は自分が見ないふりして追いやってきた自分のシャドゥに嫌でも向き合わないといけない時が来ているんじゃないかと思いますが、そんな父に私はそっくりなのです。
父のネイタルの天王星は牡牛座の17度にありますから、牡牛座に天王星がある今、父も変化の時を自分の太陽(乙女座のオラウータン)とトランジットの天王星から促されているのかもしれません。
長い文章をお読みくださりありがとうございました。