こんにちは。
先日、銀河塾でのお仲間同士が集う「オンライン夜のつどい」に参加しましたが、その時に、土星の話題が出まして、少し考えさせられることがありました。
土星とは、「制限・時間」を司る星で、時に私たちに、試練や苦手意識の克服という「越えるべきもの」を投げかけてきます。
私は、マイナーアスペクトを除けば、土星と角度を作る天体がないので、土星はノーアスペクトです。
アスペクトとは、ホロスコープ上での惑星同士の中心角の角度のことをいいますが西洋占星術では、その角度が、0度(ピッタリ重なる)、180度、(向かい合う)90度、60度をメジャーアスペクトといい、角度を形成する各惑星の性質の影響がその人に特徴的に表れるといわれます。
ノーアスペクトの惑星がその人にどの様な影響を与えるのかといいますと、
アスペクトがないと、そのエネルギーが純粋なまま蓄積されてしまいます。
そして時おり決壊して無軌道に放出してしまうことがあり、具体的には自分で意識しないままに、その惑星の意味合いが行動化されてしまうということが出て来るのです。
ただ、これが決して悪いというわけではなく、その惑星が他の惑星とブレンドされないまま純粋な形で表現され、また尽きることなく力を発揮するので、外から見てわかる才能や傑出した行動パターンという形で発揮されることも多いのです。
鏡リュウジの占星術の教科書 鏡リュウジ著
他の天体からのアスペクトがあって、初めて、その惑星の発露の仕方が認識できることがあるとしたら、ノーアスペクトの惑星の場合、自分で感じるよりは、他の人から見た方がその影響がよくわかるのかもしれません。
土星の象意として土星は、制限や限界という意味あいを示すことから、結果としてすぐに出るとは限らないということがあり実感しづらく、認識できるのは後々になるという傾向はあるかもしれませんが、実際自分は「あー、これが土星なんだな」とわかることは少ないですね。
他にアスペクトがないということは、土星が示す意味あいとしての自己鍛錬や、自己制御、現実感覚という様なことを実感させてくれるものが他からフィードバックされにくいということになるのかもしれません。
だから、場合によって土星のノーアスペクトは、案外刹那的に生きるとか、人生の目標を定めづらいとか、現実感覚が薄いとかいわれたりすることもあるのかもしれません。
確かに、自分の場合も一部ですが、そう言われればそうだなぁと感じることはあります。
一つの物事に目標設定をしてひたすら積み上げるというよりは、楽しいと思える感覚をひたすら積み上げていく感じで、途中で楽しくなくなったり、興味が変われば、あっさり切り替えて別のことをし始めたりということはあります。
自分が「あれは土星だったんだな」と後から振り返って思うことの数少ない一例を挙げますと「語学」ですが、語学は「積み上げる」という行為を少なからずしなければならず、一朝一夕に、他国の言語を理解できたりするという様なことはないと思います。
例えば英語だとすると、一つ一つの単語を覚える。
文章をまず日本語に訳す、そして元の文章を見ずにその日本語をまた英語に置き換えて書いてみる。
という様な地道な作業を延々と高校の頃からやっていて、この積み重ねの行為には間違いなく「土星」を感じたりはするのですが、ただ、自分は将来こうなりたいという特別な願いがあったわけではなかったと思います。
他国の人とのコミュニケーションが楽しい、異国の文化、芸術を研究することは楽しいと感じるだけでした。
これは、9ハウスという外国や外国語に関するハウスに太陽があるからと考えると、とても納得出来ますし、コツコツとした小さな継続は太陽牡牛座でやってきたことだと感じる部分が多いです。
大学の同級生の中には、過酷な「積み重ね」に辟易しながらも、夢だった通訳やドイツ語や英語講師になるいう自分の掲げた揺るぎない目標を確実に達成した人もいます。
こんな友人達の姿にはやはり「土星」の面影を感じたりします。
私の目標は確かに、昔から結構流動的で尻切れトンボなことはよくあるなぁと思います。
ただ、自分は太陽が牡牛座、月が山羊座、アセンダントが乙女座という、主要な個人天体が、土のエレメントになっています。
土のエレメントの感覚は、どこか土星と似ているところがあると感じるのですが、この3サインは、「現実ありき」という視点が優先されるという部分に共通しているところがある気がしていて、そこが土星の現実感覚と似ている様に思います。
土星感覚とは確かに違うとは思うのですが、土エレメントサインの個人天体が感じるところは、常に自分自身が現実なのですね。
そんな土エレメントサインの傾向として、前向きに地に足つけて世の中を歩いていこうとする性質は、軌道を持たなくとも、現実を逸脱することはなく、自分は確かに守られていると感じたりすることがあります。
土星という惑星を、チャートに誰でも一つ持っていますし、地球で暮らしている以上、土星は、何らかの形で人を守ってくれているのかもしれません。
また、ノーアスペクトが意識化されにくいということは、シングルトンの働きとの共通点もあるかもしれません。
シングルトンとは、
- チャートの中で孤立している様に見える天体。
- エレメント、クォリティ分布において、一つだけ存在している場合。
- メジャーアスペクトを持たない天体。
シングルトンとは、他の惑星との関係性がないために「意識化」されにくいと考えられる。
そこで無意識的、極端な働きをすることになることがある。
意識化されていないということとは、自分の中の心の大きな要素であるにもかかわらず、それがあるとは感じにくく、それを無意識的に強く求めて、反発してしまうということです。
鏡リュウジの占星術の教科書 鏡リュウジ著
私はどちらかというと、自分に、制限をかけてくるものに対しては、反発してしまうところがあるのですが自分のチャートの土星がある牡羊座の7ハウスでそれを意識したことは、それほどありませんでした。
でも、7ハウスの示すパートナーシップや、一対一で対峙する関係においては、困難なことが起こると感じたりすることは度々あります。
特に7ハウスの反対側の牡羊座を表す1ハウスに冥王星と天王星という強い天体があるせいか、なかなか相手に合わせられませんし、自分に圧力をかけてくるものに対しては、必ず1ハウスのそれらが反応していたと思っていたのですが、制限や常識に縛られたくないという無意識的な土星ノーアスペクトの力として、7ハウスの対人関係、特に、家庭内では夫、家族内では父親、学校では先生に対しても少なからず影響しているところがあったのかもしれないと考えたりします。
自分のルールは自分で決めたい。
家庭内でも、家族内でも、学校内でも自分独自のルールや学習法を作っていて、それらがどこか問題が起きた時の解決の糸口になっていた気がしますし、自らの困難を救っていた様な気がします。
つまり、人から制限を受けて着地するより自力で着地したいという感覚。
そんな感覚を7ハウスでも無意識に感じていたのではないかと、ふと考えた先週の集いの時間でした。
長い文章お読みいただきましてありがとうございました。