「ジャーナル」で日記をつける

最近は、毎日スマホの「ジャーナル」で日記をつけています。

何故今、毎日日記をつけようと考えたのか、きっかけは5年くらい前から続けている「夢日記」を出来たら毎日記録したいと考え始めたことが一つあります。

以前は、特に印象的な夢、象徴的だと思う夢、絵に描いてみたい夢などの記憶を目覚めた朝にたどりながら記録していましたが、「そんな夢はだいたい新月と満月の時多いな」とぼんやり感じていました。

ただ、人は誰も毎日夢をみますし、夢をみるということは、別の言葉で言い換えると単に、夢の記憶があるということだと思います。

それなら単に新月と満月が特に夢を記憶しやすい時なんじゃないのかなぁと思われたりもします。

さらに考えたら睡眠から覚醒する瞬間と関係あるのかなと言う気がします。

まー気のせいかもしれませんが。

睡眠は、とても個人差があると思いますが私の場合の平均睡眠時間は5、6時間で、そのうちでも度々目が覚めて、その間にも夢はみていると言う認識があります。

なので一晩でいくつもの夢をみます。

その度ごとに夢を記録したらどうなるだろうと。。

目が覚めてすぐスマホの画面見るのは結構目がしんどかったりしますし、いつまで続くかわかりませんが、目覚めた瞬間「ジャーナル」に簡単につけておこうと思ったのですね。

あと、もう一つの理由として、一日があっという間に眠って終わってしまうと考えた時、ともすると自分の意識や潜在意識(?)に反することを1日に幾度も自分で体験しているのに、そのことにも気がつかず、ただ時間に流されていることって案外多いんじゃないかと、ふと感じることもあったりするからですね。

自分がいつ、どんなことを考えて、どんな意図を持ちながら生活しているのか、しっかり意識して考えて行くには、毎日何をしたか、どんな夢をみたか最小限のことを記録したりなどしないと結局「すぐ流されるだけになって終わってしまうのかな?」なーんて考えたりなんかもします。

それでいて「まーそれで終わっても幸せなのかもしれない」と感じたりする自分もいます。

先日の蠍座満月は、「探し物」についての、とても印象的な夢を見ました。

もしかしたら、近いうちにその「探し物」が実際に出てくるかもしれません。

あと、自分が定期的によくみる夢ですが、「学校の授業の時間割ができていなくて焦る」。「ピアノのレッスンの時間がくるのに、全く練習できていなくて焦る」。など、自分が経験した「過去」のことに対して夢の中で準備出来ていないことで「今」の自分が焦っている夢などはよくあります。

じっくり考えてみると、結構、あの夢はこのことだったのかな?と後で気づくというか、思い当たる出来事もあります。

最近、ヴァジム・ゼランド氏の著書「TUFTI」を読む機会がありましたが、著書の中にある「外部スクリーン」、「内部スクリーン」にぼんやり日常の出来事や自分の意識を映しながら、「台本」に流されて生活している自分は、睡眠時による「夢」と無意識続きで繋がっていて、どれも同様に「眠っている」状態なのかもしれないと感じたりもします。

「TUFTI」に関しては、分かりにくいというか、独特の言い回しがあり、「その表現(キーワード)は別の言葉に置き換えられないのだろうか」。。と感じる面もありますが、「ジャーナル」を続けてみようと思った一つのきっかけでもあります。

人の夢の話を聞いたりすることは退屈なことが多いと思いますが、ここまで読んでいただきありがとうございます。