双子座の絵画

レダと白鳥/ポール・ゴーギャン

ゴーギャン作「レダと白鳥」1889年 石版画

双子座の絵画として、「レダと白鳥」というテーマがあります。

双子座の神話に登場する、双子の卵を産んだお母さんの美しいスパルタ王妃レダと、白鳥に化けてレダに近づいた神ゼウスのモチーフとしてよく知られていて、様々なアーティストの作品にいろんな形でインスピレーションを与えて登場します。

双子は、神ゼウスを父に持つポルックス(弟)と、人間のスパルタ王テュンダレオスを父に持つカストル(兄)の兄弟を指します。

レダと白鳥にはこんな神話があります。

大神ゼウスは、美しいスパルタの王妃レダに想いを寄せ、白鳥に化けて近づき、レダは二つの大きな卵を産み落としました。
この卵の一つからは、カストルとクリュタイムネストラ、もう一つからは、ポルックスとヘレネーが生まれました。
つまり、双子の兄カストルと、弟のポルックスは同じ卵からではなく、別々の卵から生まれたということです。
ポルックスとヘレネーはゼウス神の子で不死身、カストルとクリュタイムネストラは、スパルタ王テュンダレオスという人間の子として「死」がありました。
ヘレネーは、のちにトロイアの大戦争の火種になるほどの美女になります。
ヘレネーはスパルタ王メラネオスの妃になりましたが、トロイアの王子パリスが美しいヘレネーと恋に陥り、スパルタから略奪してしまいます。
王妃を奪われて怒ったスパルタ王メラネオスは、ヘレネーをトロイから奪還すべく、兄のミケナイ王アガメムノンに応援を乞いトロイア戦争が起こります。
そして、クリュタイムネストラはそのトロイを攻めるギリシャ軍の総大将アガメムノンの妻になりました。
このトロイアの戦争では、英雄アキレウス、オデュッセウスなどが活躍します

この作者のゴーギャンは、日本でも人気がある、印象派後期の画家です。

同時期の印象派後期の画家ゴッホの様に目の前の被写体に忠実に描く画法ではなく、コーギャンの絵は、頭の中で構成された図、つまり「想像力」で描いた作品が多いです。

白鳥は、(※参照)コーギャンのパーソナルエンブレム(個人的寓意)と言われていますが、何故白鳥なのでしょう❓
「レダと白鳥」と同時期にゴーギャンは「戯画的自画像」を描いています。

この自画像の背景には2つの実の「リンゴ」。

そして、ゴーギャンが純潔の象徴としている黄色い花の「花茎」から、くちばしのある首の長い鳥。

この鳥は、「エデンの園のアダムとイヴ」に登場する、イヴにリンゴを食べる様にと、神との約束を破ることへと誘惑する「ヘビ」を象徴している様ですね。

そして、約束を破った罰に楽園を追放された人間の祖の原罪をほのめかしています。

このヘビのモチーフとしての黒白鳥が、↑「レダと白鳥」の作品で白鳥に変容したと言われています。

長髪の頭上には、後輪がありますから、キリストを示唆していて、風刺画的自画像なのかもしれません。

ゴーギャンはこの他にも「黄色いキリスト」「オリーブ山のキリスト」の中で、自分自身の内面をキリストの立場に置きかえています。

ヘビが白鳥へ変容した様に、自身も、キリストから未来のアダムへと変容し、リンゴも、もはや原罪のシンボルではなく、知恵の木の実であり、キリストも、もはや苦悩のシンボルではなく、原罪による「楽園」追放後の未来を志向していると考えると、コーギャンのキリスト教以外からの思想、哲学が伺えます。

コーギャンはキリスト教以外の神智学からも影響を受けていたと言われています。

晩年に、「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」というタヒチでの作品がありますが、死後に対してのストイックなキリスト教概念ともどこか違う、人生の目的、精神の解放、魂の生まれ変わるカルマなど、独自の世界観が伺えます。

コーギャンは、産業革命後の発展していった物質文明にどこか背を向けたところがあります。

同時代の人々からは最終的には、理解されなかったにもかかわらず、風刺画的自画像のキリストからは、自分を当時の芸術的表現の「救世主」だとしている強い意志も伺えます。

この「レダと白鳥」は、そんなゴーギャンの追放後のアダムとイヴの独自の「楽園」を遠い野蛮の島タヒチに願うまでの経緯を物語っているのかもしれません。

※参考文献「抽象絵画の誕生」土肥義夫著

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