月を満たすということ②

こんにちは。

前回の記事では、西洋占星術からみた月と、認知科学からみた自我って重なるところがあるんじゃないかなーと考えてみましたが、主には月反転サインから月が満たされることについて書いてみました。

関連記事

こんにちは。 木星が蟹座に移動してから、暫く経ちますが最近は、なんとも言えない心地よい日が続いています。 トランジットの木星と関係があるかどうかはわかりませんが、私は今まで「月が満たされる」という実感をしたことがあまりない中、こ[…]

たまたま、反対側の蟹座の木星とも重なった部分はあるかもしれませんが、半転サインは使いやすいということを肌で感じました。

そして月の働きは、肉体的なことも含まれますが、心理的な「心の安全領域(コンフォートゾーン)」と似ている要素があると書きました。

肉体的欲求(煩悩)がなくなれば人は生きている意味もまたなくなってしまいますし、不可欠なもので、起点は変わり様がないかもしれませんが、月は「リラックスした時の素の自分」でもあります。

何も取り繕ったり構えたりしない内向きの素顔。

心身ともに疲れを癒す場所でもあります。

では、どういう時に人は疲れるのかと考えると、やはり家の一歩外、社会に出た時に様々な自分の安定を脅かす出来事に遭遇する時なのだと思います。

考えや行動の基準を職場や、外の環境に無理矢理合わせようとしている時だったり、自分が思っているその基準に合わせるために、感情を意識的にも無意識にも押さえていたりする時だったりするかもしれません。

自分の心の底から喜んですることと、社会の基準に合わせてすることが必ずしも同じというわけではないかもしれませんし、一致しない部分を自分で削ぎ落としたり、押し殺したり、無理しているところがあるかもしれません。

もしかしたら大多数の人がそうなのかもしれませんが、それが世間。という様に私たちの殆どは、ずっと長い間それがあたりまえの様に無意識的に生きてきてる気がします。

癒しの場、リラックスの時間は大事だとは思いますが、人はそこばかりにいても成長はしないのかなと思います。

体や、マイナスの感情などは癒やされるかもしれませんが、そこからは何も生まれないし、変わらない、進化はしないという場所が月なのだと思います。

月は、やはり他の天体とは、別物なのだという気はしますね。

ただ、未知で不安でも勇気を出して、月の心的安全ゾーンから一歩外に踏み出して、自分の心の奥底にある声に従って行動すると、ゾーンは少しずつ変わっていくということはあるかもしれません。

体験することによって、自分が常識と思っている観念が変わることはありますし、不安も消えたりすることはありますよね。

自分が行動したことによって周囲の見方が変わることもあります。

自分の心の奥底にある、真からの意志がある場所とは太陽の場所ということかもしれませんね。

太陽は、自分自身の核ですから、人と比べることをしませんし、心の声に従う時は、他の人のことは目に入らないのではないかと思います。

全力で我が道を進んで行ってるなぁと思える人を見る時もたまにありますが、すごいなぁと感じると同時に、そんな人は、「リラックスの場所」を別段持っていない(必要としていない?)様に思えたりします。

ひたすら自分の目指す方向だけを見ている。。

自分の心の声さえわからないという人もいるかもしれないし、声は感じてはいるけれども、それに従うことはできないという様な人もいるかもしれませんが、(私もそんな一人です)過去の時代に遡れば遡るほど、そんな人は多かったのかなぁと思います。

生きていくことに選択肢がない時代も人類の歴史上長くあったかと思いますが、「物質」や「お金」がもたらすこと、それこそが最優先で全てという価値観は、現代社会をピークにしてある様に思います。

私たちの親世代(高度経済成長期)などの多数が自分のことは二の次で、社会の枠組みの中で真面目に働いて来ましたが、稼ぐためにのみ、多くのものを消耗していた世代だとしたら、やはり満たされない心の充足をお金や物質に求めたり、依存したりするところはあるんじゃないかと思います。

もちろん私たちや子の世代もお金や物質重視のところは変わらずあるとは思いますが、今は生き方や、価値観は昔と比べたら選ぶことが出来る時代になってきているかもしれません。

上世代からくる影響やしわ寄せなどはあるかもしれませんが、若い世代に、そこまで強い「月」を感じることが少ないという気もしています。

「生きていくため」「家族のため」「物質(金)を得るため」本心では望んでもいないことを人はしていたとしたら、「癒し」や「リラックス」としてのゾーンは必要不可欠だったと思います。

そのゾーンは確かに尊いものかもしれませんが、その中に「エゴ」も含まれるということはあると思います。

土星から内側の意識できる世界において「月」とはそんな印象ですが、では、月はポジティブ要素はないのかと言えば、そんなことばかりでもないという気はします。

芸術作品などを創作する場合は、月は案外働いているかもしれないと思ったりします。

月は、感情や記憶を表すものでもあります。

素晴らしい技術や芸術は人を感動させるものですが、技術は訓練、鍛錬などの繰り返し、積み重ねで上がっていき、集中力や洞察力などもそこに加わってくるかもですが、「感情」がなくても達成はできるものだと思います。

一方極論を言えば「芸術」というものはそこに感情がないと花開くことはないと思います。

芸術に対しての考え方も人それぞれで、あくまで私の主観ですが。(笑)

たいていは技術や感情、その他の要素も含めて上手く溶け合って表現され、素晴らしい芸術はあるのだとは思いますが、例えば子供や知的障害者の人が創り出す絵や音楽によく見られますが、技術はなくても感情や、精神世界、その人の世界観が顕になってる作品はあり、そういったものは、芸術だと思います。

理解されることは、難しいこともあるかもしれませんが、人が奥底に持っているもの、原始的なものに触れて、心を打つ時が確かにあり、共感を呼ぶこともあります。

感情はその場で湧き起こり刹那的なものではありますが、その感情を記憶しているのが月の働きということはあるかもしれないと思っています。

直感的、霊的なインスピレーションを受けたりして芸術を創作する人も中にはいるかもしれませんが、感情というものは、だいたい過去の体験の記憶に反応して出てくることが多いという気がします。

家族や親しい人、生き物を大事だと思うのは、自分が確かにそこから愛情を感じた記憶があるからだと思いますし、無条件に大自然などを愛おしいと感じるのも、遙かなる過去からの記憶があるからなのかもしれません。

感情、特に愛は失う時も含めて素晴らしい芸術作品を生み出すと思いますが、その刹那の印象、感情を忘れてしまっては、創り出せないこともありますよね。

月の感情を満たしたいと思った時は、外からの目は度外視して、何か創作してみるといいかもしれません。

浄化されることはあるかも。

人は眠っている時、起きた出来事や、その時に受け止めた自分の印象、感情などを必要なものとそうでないもの、忘れてしまった方がいいと思われるものを脳が判断して整理するといわれます。

忘却がなければ、また人は生きていけない生き物でもあるかもしれませんね。

過去の記憶は脳の整理する働きによって少しずつ、潜在意識の底に沈められていくものだとすると、月はその記憶に干渉してくることがあるものかもしれないと思ったりします。

過去の記憶は、時に「夢」として形を変えて表れたりしますが、夢は本人が自覚していない場合や、無意識に自分の心にフタをしている場合など、心の底に眠っているものをわざわざ教えてくれたりする時があります。

そんな「夢」というものに月は関係してるんじゃないかと、個人的には感じたりすることがありますが、そのことはポジティブとかネガティブとか、振り分け出来ないことかもしれません。

夢はその人特有のもので、良いとか良くないとかは、時と場合によって変化するものかもしれませんし、受け止め方も人それぞれだと思います。

今回も長い文章にお付き合いくださいまして、ありがとうございます。