月を満たすということ①

こんにちは。

木星が蟹座に移動してから、暫く経ちますが最近は、なんとも言えない心地よい日が続いています。

トランジットの木星と関係があるかどうかはわかりませんが、私は今まで「月が満たされる」という実感をしたことがあまりない中、これってそうなんじゃないかな?と感じたことが最近ありましたので、今日はそのことについて書きます。

今トランジットの木星は、自分のネイタルの月山羊座のちょうど180度のオポジションの位置にあります。

正確には、ピッタリ180度になるのは、もう少し先だと思いますが、自分のネイタルの木星は蟹座にありますので、トランジットの木星が蟹座入りしてからは、「木星回帰、Jupiter Return(出生時の木星の位置にトランジットの木星が戻ってくること)」の影響を多少感じています。

木星が表すこととしては、発展、拡大、成長、成功、高次の精神性、利他性、道徳、理想の追求、高度な学問、哲学、宗教学、外国などです。

ちなみに、今のトランジットの木星は蟹座9度くらいの位置ですが、今回の参議院選挙で躍進を遂げた参政党の党首、神谷宗幣氏のネイタルの木星は蟹座で、今、トランジットの木星とコンジャンクションしていますね。(私は参政党支持者ではないですが)

私の月の半転サインは蟹座ですが、今はなぜだか、普段よりも蟹座の要素を感じとりやすくなっている気がします。

蟹サインの表すことは、家庭、家族、感情、母性、霊性、護ること、親しみやすさ、人気、防衛本能などですが、月がルーラーです。

月が表すことについては、以前記事に書いたことがあります。

月についての記述

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占術家マドモアゼル愛氏の提唱する「月理論」を学んでから、すでに5年近く経ちますが、月のことについては、ますます興味深いと感じることが多いです。

特に、一昨年前に統合失調症を発症した妹のことを見る度に、「自我」って何だろうと思うことがあるのですが。。。

「自我」と一言で言っても、ひとくくりで語られる事柄ではないとは思いますが、やはり「自我」を考える時、西洋占星術でいうところの「月」の要素は大きく占めているという様な気がしてます。

人は、誰でも育った生活習慣・環境、または過去の体験や、それによる感情などから心理的に安全で安心して行動できる範囲を自ずと感じとって理解しているものだと思いますが、自分の自我を保つためには、その安全な場所が、必要ということもあると思います。

認知科学では、その様な場所は「コンフォート・ゾーン」と呼ばれるらしいですが、そのことについては、以前記事で書きました。

この「コンフォート・ゾーン」と呼ばれるものが、占星術の「月」が表していることと近いなぁと感じることがあります。

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人はコンフォートゾーンにいる間は平穏に暮らせるかもしれませんが、新しく学んだり、挑戦したり、自らの変化は起こしにくく、行動は受動的で視野は限られてしまうといいます。

それと同時に、心の安全を守るために、自分の都合(肉体的な煩悩も含めたエゴ)を自分と繋がりのある人や世界へ、優先して、さらに率先して押し出してしまいがちになったりもするかもしれません。

自我とは、生きていくため、自分を保つために必要なもので、無くすことは出来ないものだとは思いますが、月も切っても切ることはできませんし、無くすことは出来ないものだと思います。

自我の全てが月というわけではなく、太陽やアセンダントの割合もあるのかなとも思いますが、それぞれが自我に対して占める割合や、どういう時に出るのかということは、その人を取り巻く社会や、環境、仕事、人間関係によって違いがあり、太陽はその人の獲得具合などによっても、出方は各々違うのかもしれません。

特に太陽は、その人の核であり、その人そのものを形成しているものではありますが、自己の深い部分の開発、発掘が必要で、それには勇気も必要になります。

自分以外の人のアセンダント、太陽や月は、結構わかるもので、私は去年一年間、妹の入院、看護時の時を含めて家族の月をよく見る機会がありました。

一昨年前の妹の発症をきっかけに、私はずっと疎遠になっていた家族と再び関わりを持つ様になりました。

自分の月を感じる時と同様に、家族の月を大人になって初めて見た時、あぁ、自分と同じなんだなと思いました。

月はサインは違っていても発露の仕方は、みんなだいたい同じということですね。

月山羊座の私は、社会との繋がりとか、社会の中で人はどの様に振る舞うべきなのかとか、いかに効率的で無駄のない時間やお金の使い方をするかなどの事柄に意識が行きがちですが、去年1年間は自分の仕事のことよりも妹のこと優先にすることもありました。

今年に入って家族に少しずつ変化が訪れ、妹の中にいる別人格の自我は今は消えています。

去年1年間、自分が家族と係ることで、家族が変化した?いや、やはり変わらない部分はあるのかなとは思います。

心が安全、居心地がいい場所、そこにい続けるという選択もあるわけで、その人の人生、選択は自由だと思います。

でも少なくとも、家族に以前よりは、笑顔が増えた気がしていて、それがとても素直に嬉しいです。

私は、これは木星の恩恵かもしれないと思っていましたが、先月「マドモアゼル愛・風の学習塾」で知り合ったメンバーが集う「夜の集い」に参加してやりとりした時、メンバーの方から、そのことは、私の「山羊座の月を介して反対の蟹座(家族)へ祈る思い」が届いたからかもしれない、とのフィードバックを受けて初めて月のことに気がつきました。

自分のためのことではなく利他的なエネルギーは「木星」の象徴するところではありますが、言い方を変えれば、「自分の都合より他者優先」は、自分のエゴを抑える、月を抑えるという意味でもある気がします。

他者優先とは、自己犠牲という意味ではなく、気持ちに余裕があるということでもあります。

家族が笑顔で話す。今はそれだけで、何とも言えない安堵感に満ちています。

家族のために、月の反対側の蟹座の要素を知らないうちに、使っていた。

月が満たされるってこういうことなのかな?とふと思った今日この頃です。

日常の自分の暮らしはといえば、自分の仕事が上手くいっているとか、社会から認められているとか、なーんていうことは全くなく、何の変化もない日々ですが特別な不安もなく不思議です。

これは自分にとっての変化で、もしかして確かに成長した道を行ってるんじゃないかという自信にも繋がりますし、私は、月(コンフォート・ゾーン)にずっととどまる選択は避けたいところですね。

自分にとって月を満たすことは大切なことかもしれません。

エゴを手放すことによって、与えられるものもあるのかもしれませんね。

今日も長い文章、読んでいただきましてありがとうございます。